2012年5月3日木曜日

OUTSIDE IN TOKYO / マイケル・エプスタイン 『ジョン・レノン,ニューヨーク』レビュー


『ジョン・レノン,ニューヨーク』


『ジョン・レノン,ニューヨーク』は、4人のビートルの中でも最も多くの伝説に彩られた人物、ジョン・レノンの破格の人生の最後の9年間をヴィヴィッドに描いたドキュメンタリー映画である。近年では、ビートルズ結成前夜、リヴァプールの愛すべき不良少年であった頃のジョン・レノンを描いた、サム・テイラー=ウッドによる事実に基づいたフィクション『ノーウェアボーイ』が記憶に新しいが、レノンのやんちゃ坊主ぶりというのは、多くのファンに既に馴染み深いものといって良い。少年の心を失わず、そのまま音楽の道を突き進んだ青年は、やがて世界を熱狂させるロックバンドの中心人物として、同時代と後世のポップカルチャー全般に多大な影響を与えることになる。

『ジョン・レノン,ニューヨーク』は、ジョンとヨ� ��コが出会い、ビートルズが実質的な終焉を迎え、ヨーコがロンドンのマスコミによる、人種差別的ですらあると言うべき、容赦のない個人攻撃に晒され、救いを求めるようにして自由の女神が屹立する街、ニューヨークへ移住した1971年9月から、ひとりの狂信的ファンの銃弾にジョンが倒れる、1980年12月までのニューヨークでの日々を、本人のインタヴュー映像、ヨーコやエルトン・ジョン、プロデューサーのジャック・ダグラスを始めとした、共に活動したミュージシャンたちの証言を得て、私たちに"近しい個人"であると同時に"並外れたアーティスト"であるジョン・レノンの姿をスクリーンに鮮やかに描き出している。


私は何の最後の場合

ジョンとヨーコのベッドインを始め、彼らが積極的に関わった平和運動が、次第に挫折していき、その後、ジョンの浮気がきっかけとなって、二人は別居生活を送ることになる、かの有名な"ロスト・ウィークエンド"のことは、今までも、『イマジン/ジョン・レノン』といったドキュメンタリーで描かれてきたことだが、"ニューヨーク"に焦点をあてた本作は、"ニューヨーク"という街と"ジョン・レノン"というひとりのアーティストが、如何に不可分な存在であったかという宿命めいた事実を浮かび上がらせる。

1970年代のアメリカといえば、ロバート・ケネディ暗殺(68年)、ブライアン・ジョーンズ(69年)、ジミ・ヘンドリックス(70年)、ジャニス・ジョプリン(70年)の相次ぐ謎めいた死が"自由"と"革命"に湧いた60年代に 終止符を打ち、ベトナム戦争は泥沼化の一途を辿る、"銃"と"死"に彩られた時代。ニューヨークでは、アンディ・ウォーホルのファクトリーがダウンタウンで"自由"への扉を開け放ち、有象無象のアーティストがその扉を自由に行き来した60年代が、1968年に起きたバレリー・ソラナスによるアンディ狙撃事件(『アンディ・ウォーホルを撃った女』(95)として映画化)によって幕を閉じた後、そんな時代の退廃を写し出し、ジャンキーや性倒錯者たちのインモラルな私小説的世界をスポークンワードで歌う『ワイルドサイドを歩け』(72年)が全米ヒットを記録、かつてのファクトリーでウォーホルに見出されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのルー・リードは、"アメリカ合衆国"と距離を置いた幻想のネイキッド・シティ"ニューヨー ク"を詩(うた)にし、強かに後世に影響を与える仕事を残していく。世界を熱狂させるロック・スター、ジョン・レノンが身をおいたのは、"自由"の代償として"銃"による凶悪犯罪が多発すると同時に、国家を相対化する"個人"がサブ・カルチャーの萌芽を揺籃する"裸の街"ニューヨークだった。


ジョー·ペリーは誰ですか?



その頃のアンディ・ウォーホルとジョン・レノン、オノ・ヨーコの交流を8ミリフィルムに収めたのが、本作にも登場する映画作家ジョナス・メカスだった。リトアニアから移民として米国に渡ってきた"日記映画"の創始者にして、NYフィルム・アーカイブの創設者でもある"映像の詩人"ジョナス・メカスが、世界の映画作家や映像クリエーターたちに与えた影響の大きさは計り知れない。メカスのキャメラが捉える映像には、対象が何であれ"今ここに生きていること"の喜びが満ち溢れている。第二次大戦後のユダヤ人難民キャンプでの生活をサバイバルした移民ならではの、逞しさと生の喜びが彼の日常を祝福しているかのようだ。

メカスの『ライフ・オブ・ウォーホル』(90)や『Zefiro Torna or Scenes from the Life of George Maciunas』(92)といった作品には、ピッツバーグのウォーホル宅を訪ねるリラックスしきったジョンとヨーコの姿も、今となっては消滅しかけている8ミリフィルムに収められており、その"スター"の気配を排した親密な佇まいが、逆説的に感動を誘う。もちろん、この交流のベースには、フルクサスで活動を共にしたヨーコとメカスの交流が中心にあったことは想像に難くない。


音楽の調和とは何か

また、本作には、ジョンに以前から大きな影響を与えていたといわれるビート・ジェネレーションの代表的な詩人アレン・ギンズバーグも登場する。アレン・ギンズバーグ、ウイリアム・バロウズ、ジャック・ケルアックがニューヨークで出会い生まれたと言われる"ビート・ジェネレーション"は、そもそも、アーネスト・ヘミングウェイ、F・スコット・フィッツジェラルド、ジョン・ドス・パソスといった、第一次大戦の戦渦で受けた経験や旧来の価値観に対する動揺を表現した"ロスト・ジェネレーション(失われた世代)"の作家たちの後に生まれた、米国の新しい世代の作家たちの破天荒で"ビートな=打ちのめされた"生き方を形容して名付けられた名称だった。

ビートの作家たちは、いずれも既成の価値観に反抗し、自らの新しい価値観を探し求め、あるものは麻薬中毒者になりながらも83歳まで生き、またあるものは放浪の挙げ句アルコール中毒になり47歳で短い一生を閉じた。ギンズバーグの『吠える』、ケルアックの『路上』、バロウズの『ジャンキー』といった作品は今でも多くの読者を持つ文学作品であると同時に、彼らの生活スタイルそのものが、多くのロック・ミュージシャンにワイルドな影響を与えたことも否定できないが、バロウズやギンズバーグが、ルー・リード、パティ・スミス、リチャード・ヘルといった後年ニューヨークで生まれ育つロック詩人たちに与えた、世界に自らを開いていく創作スタイルの影響は決定的なものであり、レノンがニューヨーク時代に� �らの内面を吐露することで"個人"を作品に昇華し得た楽曲群にもその影響は明らかだ。


ロスト・ジェネレーションもビートも、読者と作者の距離を親密なものに近づけたことは、"近代文学"の果たす機能のひとつとして当然のことかもしれないが、ロックに"文学"が導入された時、つまり、ルー・リードが「ロックン・ロール」で、"僕はロックに命を救われた"と告白し、ジョン・レノンが「マザー」で"お母さんは僕を産んでくれたけれど、僕には母親がいなかった"と悲痛な叫び声を上げた時、観客とアーティストの距離は一気に縮まった。この"近しさ"こそが、レノンを様々な平和活動、反戦活動の中でリアルなヒーローに祭り上げたのだし、現代の"詩人"、"救世主"としての役割を与えてしまったことは否定できない。そして、皮肉にも、この"近しさ"を限りなくゼロに近い距離 と狂信した人物の放った銃弾が、彼の命を奪ってしまうことになる。

荒んだLAでの"ロスト・ウィークエンド"に辟易して、ヨーコと復縁を果たし、ヨーコとの間に第一子ショーンを授かったジョン・レノンが、数年間の主夫としての生活に心の平安を見いだした後、満を持して再出発を果たす「スターティング・オーバー」が本作終盤で鐘の音と共に流れるや否や、目頭が熱くなり、頭の中が真っ白になってしまった私は、もはやその先、どのような映像がスクリーンに写っていたのか、全く覚えていない。

『ジョン・レノン,ニューヨーク』
英題:LENNONNYC

8月13日(土)、東京写真美術館ホールほか全国順次ロードショー

 

監督・脚本:マイケル・エプスタイン
共同製作:スーザン・レイシー、ジェシカ・レヴィン
製作総指揮:スタンリー・バックタール、マイケル・コール
特別協力:オノ・ヨーコ
出演:ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、エルトン・ジョン他

2010年/アメリカ/英語/115分/ビスタ/デジタル

配給:ザジフィルムズ


『ジョン・レノン,ニューヨーク』
オフィシャルサイト

※各写真のクレジット


ジョンとヨーコの屋上での写真
(C) 2010 Two Lefts Don't Make A Right Productions, Dakota Group, Ltd. and WNET.ORG
(C) Ben Ross

ニューヨークTシャツのジョン・レノン
(C) 2010 Two Lefts Don't Make A Right Productions, Dakota Group, Ltd. and WNET.ORG
(C) Bob Gruen/www.bobgruen.com

ギターを弾くジョン・レノン
(C) 2010 Two Lefts Don't Make A Right Productions, Dakota Group, Ltd. and WNET.ORG
(C) David Spindel

スタジオの中のジョン・レノン
(C) 2010 Two Lefts Don't Make A Right Productions, Dakota Group, Ltd. and WNET.ORG
(C)David Spindel



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