嘘みたいな安価で見つけてきたディスクを早速かけてみよう。
プロコフィエフ:
交響曲 第五番
組曲『三つのオレンジへの恋』*
パウル・クレツキ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
コンスタンティン・シルヴェストリ指揮*
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1963年6月10~12日、ロンドン、アビー・ロード・スタジオ
1960年、ウィーン*
EMI 5 74115 2 (2000)
これは壮絶としか言いようがない。深淵を覗き込むようだ。しばし絶句。
プロコフィエフの第五交響曲の底知れぬ怖さ、禍々しさをここまで描き切った演奏がほかにあるだろうか。パウル・クレツキの深い洞察力に兜を脱ぐほかない。あの田舎の校長か村役場の助役めいた冴えない風貌からはおよそ想像もつかぬ鋭敏さで肺腑を抉る指揮ぶりなのである。
1968年、手兵のスイス・ロマンドを率いてアンセルメが来日した折の記者会見で、翁が「わしももう年齢が年齢ぢゃから、こちらのお若い方に席を譲ることにした」と隣に坐る後継者を紹介した。それがパウル・クレツキ。
その来日公演をTVで観て愕然とした。その「お若い方」がアンセルメに勝るとも劣らぬ爺さんだったからだ。杖をついて足元もおぼつかない。指揮姿もせかせかして風格がまるで感じられなかった。曲目はベートーヴェンの第五交響曲だったか。それから何年もしないうちにクレツキの訃報が届いた。
大いに反省した。人は見かけによらないものだ。あの凡庸そうな爺やがこれほどの指揮者だったとは。そう気づくのに四十二年もかかってしまった。
先日の国会図書館であらかた調べはついたのだが、大正末期に大阪で出ていた『女性』という月刊誌が折悪しくデジタル化作業中とて閲覧不能だった。なので改めて駒場の日本近代文学館に足を運び現物を手にしたという次第。
ただしここは入館するだけで三百円かかるうえ、資料複写代も一枚百円と高額。なので節約を心掛けたいところだが、あれこれ大正初年の雑誌を閲覧していると、う~ん、そうも云っていられなくなる。ええい、ままよ、とばかり一気に六十五枚もコピーをとってしまった。嗚呼、勉強も楽ぢゃない。
ともあれこれで必要な資料はすべて揃った。あとはどの食材をどういう手順でいかに調理するかだ。シェフの腕前が問われるところである。
新宿へ出たのは映画鑑賞のため。会場は「角川シネマ新宿」という。
ここで「没後40年特別企画」と銘打たれた「大雷蔵祭」が連日ずっと催されている。百本上映だといい、珍しい演目も含まれている。見逃せない企画なのだ。
明治通り、伊勢丹の斜向かいという一等地。ここはひょっとして往時この辺りにあった「アートシアター新宿文化」と同一場所かもしれない。映画館は建物の五階にある。いざエレヴェーターに乗ろうと看板を観ると、無情にも各回「満員」の赤札が貼られている。無理もない、席数僅か五十六の小空間なのだものね。
窓口で尋ねると、「客席後ろから立見でよければ若干数を発券する」とのこと。折角ここまで来たのから、と当初の予定どおり三時半からの回を「立見券」で観ることにする。家人と一緒なので「おひとり千円」。
上演までまだ二時間以上あるので沖縄料理の「やんばる」で遅めの昼食。ゴーヤチャンプルーとラフティーで満腹になった。このあとジュンク堂で本を見たり珈琲を飲んだりの閑雅な午後。三時を回ったのでそろそろ映画館に戻る。
昨日消えた男
大映京都
1964年
監督/森一生
脚本/小国英雄
撮影/本多省三
出演/市川雷蔵、宇津井健、藤村志保、高田美和、三島雅夫 ほか
『昨日消えた男』といえば戦中にマキノ正博が長谷川一夫=山田五十鈴コンビで撮った髷物探偵映画の大傑作。これはそのリメイクだとてっきり思い込んでいた。脚本が同じ小国英雄なのでそう考えたのだが、これはまるで別のお話。
八代将軍吉宗が退屈のあまり不眠症になり、その治療のため(?)町奉行の同心に姿をやつし、江戸市中の怪事件を解決するというプロット。十手を振り回しながらも本当は将軍様という役どころが育ちのいい雷蔵にぴったり。いかにも愉しげに演じている。ただし脚本も演出もいささかもたれ気味で、同名のマキノ作品のように自由闊達とはいかなかったのが残念。
今回の上演用にわざわざ焼いたというニュー・プリントが美しい。次回上映作『おけさ唄えば』の予告篇附きも嬉しい心遣いだ。
一時間二十三分とはいえ、立ち通しでの鑑賞はちと苦しい。もう若くない我が身を思い知る。
昨日と今日、すなわち一月二十四・二十五日の両日、ここで年中行事として催されるのが「鷽替え神事」。この二日間だけ木彫りの可愛らしい鳥のお守りが手に入る。境内には毎年のように長蛇の列ができる。日本人は昔から期間限定グッズに滅法弱いのだ。
亀戸天神のHPから引く。
「うそ(鷽)」は幸運を招く鳥とされ、毎年新しいうそ鳥に替えるとこれまでの悪いことが"うそ"になり、一年の吉兆を招き開運・出世・幸運を得ることができると信仰されてきました。
江戸時代には、多くの人が集まりうそ鳥を交換する習わしがありましたが、現在は神社にお納めし新しいうそ鳥と取り替えるようになり、1月24・25日両日は多くのうそ替えの参拝者で賑わいます。
うそ鳥は、日本海沿岸に生息するスズメ科の鳥で、太宰府天満宮のお祭りのとき、害虫を駆除したことで天神様とご縁があります。また、鷽(うそ)の字が學(がく)の字に似ていることから、学問の神様である天神様とのつながりが深いと考えられています。
亀戸天神社の"うそ鳥"は、檜で神職の手で一体一体心を込めて作られ、この日にしか手に入らない貴重な開運のお守りとしてとても人気があります。
かつては毎年のように出掛けていた時期もあったが、このところ「学問の神様」のお守が入用な者が身近にサッパリ出現しなかったのでとんとご無沙汰していた。ところが今春は親戚に受験を控えた中三生がいることが判明したので、久しぶりに神頼みに赴くことにしたのである。
十時半頃に到着。境内をぐるり取り巻く列の驥尾に付く覚悟で出向いたのに、なんと行列は影も形もない。そのままスンナリと特設テントへと導かれ、「どの大きさにしますか」と尋ねられた。
木彫りの鷽は楊枝サイズの「携帯用」、掌に乗る小さな「一号」から、二十センチ以上あろ� ��かという巨大な「十号」まで大小あるのだが、永い中断を挟んだ今年は初心者同然の身なのだからまずは「一号」。年を経て順々に大きいものに替えていくのが本式なのだそうだ。
あっさり「鷽替え神事」の儀が済んでしまい拍子抜けした。なので家人とともに暫く境内を散策。
名物の藤はもちろん季節が違うが、その代わり紅白の梅と黄色い蠟梅が綺麗に咲き始めていた。流石に天神様の神域、「東風吹かば」である。
花を愛で池の亀を眺めていたら神楽囃子が聞こえた。十一時から境内神楽殿で獅子舞が始まるという。今日は「初天神」にあたる日で、特別に演じられるものだそうな。やがて一匹の獅子が舞台から降りてきて観客の頭を軽く噛んだ。家人も噛まれたから少しは霊験が顕れることであろう。
少し腹も減ってきたので、すぐ近くの「船橋屋」へ赴く。天神帰りの定番のお店とあって流石に列ができていたが、五分ほどで順番が回ってきた。家人はここの名物の「くず餅」を、小生は「豆寒」をいただく。
そのあとは隣町の錦糸町へ、さらには南下して住吉駅まで歩く。春のようなポカポカ陽気なので苦にならない。ここから都営地下鉄で新宿へ向かう。
(明日につづく)
朝からひとり在宅。なので日がな一日ずっと心おきなく音楽を聴く。
マーラー:
歌曲集「少年の不思議な角笛」
起床喇叭 (13)**
浮世の生活 (5)*
高い知性を讃えて (10)**
ラインの小伝説 (7)*
歩哨の夜の歌 (1)**
誰がこの歌を創ったか (4)*
無駄な骨折り (2)*
少年鼓手 (14)**
不幸なときの慰め (3)**
喇叭が美しく鳴り響くところ (9)*
パドヴァの聖アントニウスの魚説法 (6)*
塔の囚人の歌 (8)**
原光 (11)*
コントラルト/モーリーン・フォレスター*
バスバリトン/ハインツ・レーフス**
フェリックス・プロハスカ指揮
ウィーン交響楽団(ウィーン祝祭管弦楽団)
1963年5月27、28、6月1日、ウィーン、コンツェルトハウス大ホール
Vanguard Classics 08 4045 71 (1991)
柄にもなくマーラーを聴いているのには訳がある。
先だって杉浦非水の展覧会を観に鈍行列車で宇都宮まで往還した際(→この日)、道中の徒然に一冊の書物を鞄に忍ばせた。
吉田秀和
永遠の故郷──真昼
集英社
2010
九十六歳の吉田翁の最新刊。疾うに昨年末には手にしていたのだが、読まずに大切にとっておいて一人旅のお供とした。
全十一章、それぞれ鍾愛の「歌」を一曲ずつ採り上げて語る。これまでの二冊(それぞれ「夜」「薄明」と副題されている)と変わらぬ構成からなり、多くの章はすでに初出の『すばる』で読んでいるのだが、改めて通読すると文章の透徹と洞察の深さに打たれずにはいられない。平明な語り口に誘われてその「歌」が聴きたくなり、居ても立ってもいられなくなる。窓外の景色はすっかり消滅した。
マルティーニの「愛の喜び」やグリーグの「ソルヴェーグの歌」のような易しい愛唱曲についての文章を前半に配し、最終章を交響曲「大地の歌」の「告別」をめぐる深遠な省察で締め括るとい う構成が甚だ見事である。そして両者の間にはマーラーの本領たる歌曲についての諸章が散りばめられている。贅沢にもすべての「歌」に吉田翁による達意の歌詞訳が附されている。一刻も早く帰宅して、実際に「歌」を耳にしながら改めてこれらの章を味読したい。そう車中で痛感した。
採り上げられたマーラーの歌曲は「告別」を除けば以下の四曲。「トランペットが高らかに鳴り響くところ」「ラインの小さな言い伝え」「シュトラスブルクの砦の上で」「パドヴァのアントニウスの魚説法」。
三曲目の「シュトラスブルク…」が別の歌曲集「若き日のリートと歌」所収である以外は悉く歌曲集「少年の不思議な角笛 Des Knaben Wunderhorn」から選ばれている。今日たっぷり時間をかけて各章を再読し、上のディスクを聴き込んだ。
(まだ書きかけ)
さまよえる戦争画~従軍画家と遺族たちの証言
(口上)
藤田嗣治、小磯良平、宮本三郎などの日本の美術史に残る画家たちが、戦意高揚のため軍の依頼によって描いた「戦争画」。現在、国立近代美術館に保管されている戦争画は、合計153点。戦後、一度も全面公開されたことがなく、公開をめぐってさまざまな論議を呼んできた。この戦争画はどのようにして描かれたのか? 今日どんな意味を持つのか? 多くの戦争画を紹介しながら、それを描いた画家やその遺族たちの思いを描く。
一筋縄ではいかぬ重たいテーマだ。
東京国立近代美術館の常設でいつも数点は見かける戦争画。その数奇な歴史について通り一遍の知識はあったけれど、個々の作品と画家にまつわる入り組んだ経緯や、遺族たちの複雑な心境を知ることができて裨益するところ大。
どの画家もけっこう本気で描いている。渋々なんかぢゃない。宮本三郎や伊原宇三郎はレンブラントばり、藤田嗣治はジェリコーかドラクロワさながらだ。とりわけ藤田の玉砕の絵などは血みどろの修羅場そのもの。これで戦意昂揚になったのだろうか。だとすれば、なんというファナティックな時代であることか。
複雑な感慨を抱きつつ観終わる。
そろそろ風呂に入ろうかと思ったら、聴き憶えのある歌が流れてきた。大貫妙子だ、最近のコンサートの実況であるらしい。懐かしさで胸が一杯になる。この人の声と佇まいは本当にいつまでも変わらない。
調べている時代が時代なので、どの資料も百年近い歳月が経過している。なので現物を手にすることは叶わず、マイクロフィルム(ロール状)かマイクロフィッシュ(プレート状)を機械にかけ、薄暗い画面と睨めっこと相成る。この作業を三時間も続けると眩暈がしてくる。途中カフェで一息ついて、またぞろ作業再開。更に二時間ほど粘ったら吐気に見舞われた。しばし休憩。
でも頑張っただけのことはある。日刊紙を四か月分、虱潰しに通覧した甲斐があった。ほかに『歌舞伎』『番紅花』『三田文学』など数誌をあちこち拾い読み。
いろいろ新知見が加われば加わるほど、おのれの無知蒙昧ぶりを思い知らされる。いやはや、日暮れて道なお遠し。
すでにマインダート・ディヤングの童話『コウノトリと六人の子どもたち』『キャンディいそいでお帰り』『いぬがやってきた』などで挿絵を目にする機会があったから、わが国でもまるきり未知の人というわけではなかったが、絵本作家としての力量はまだ殆ど認知されていなかったはずだ。
とにかく繊細で緻密な仕事をする人だというのが第一印象。とりわけ、兎と少女の交友を淡彩でほのぼの描いた "Mr. Rabbit and the Lovely Present" に惚れ込んだ。でも "Where the Wild Things Are" のほうは正直なところ感心しなかった。変てこな着ぐるみ坊やが桃太郎よろしく舟で「荒くれたち(the Wild Things)」の住む島へ渡って連中を手なずけるという、ただそれだけのお話ですからね。ほどなく邦訳版『いるいるおばけがすんでいる』(ウエザヒル出版社)も手に入れて読んでみたけれど、印象は全く変わらなかった。こんな絵本、どこが面白いんだろう、「行きて帰りし」物語の好例だって? フン、だからどうだって云うんだ!
その後70年代後半あたりからセンダックの絵本の邦訳が怒濤のような勢いで出て、件の絵本も『かいじゅうたちのいるところ』と改題のうえ新訳されて(冨山房)広く読まれた。「おばけ」が「かいじゅう」に変じたわけであるが、この絵本ばかりはどうにも苦手意識が先立って、きちんと再読する機会がないまま今日に至る。
